新約聖書(私に従ってきなさい)


今日は、信仰を働かせる人に対する主の態度について気づいたことがあります。

マルコ5:22-43を読みました。
主の元にヤイロの父が来られ、ヤイロの家に行くときに、主の衣を触った女性がいました。
ヤイロの家に行く途中で、今にも死にそうな娘がいるのにも関わらず、群衆の中で自分の衣に触った、主を心から求めている人を探し出そうすることは、ヤイロにとって煩わしいと感じたかもしれません。
でも、主は「今ヤイロの家のところにいっているから忙しい」という理由でそのまま過ぎ去ろうとせず、立ち止まって長血を患った女性と話す時間をとることは、サマリヤ人のたとえに似たところがあると感じました。
主は、信仰を働かせる人に信仰に応じて、ミニスタリングしてくださいます。
私は、よく色々な理由を付けて、lineを返信しなかったり、約束や期限を守らなかったり、聖霊に「こうしたほうがいいよ」っていう促しがあるにも関わらず、それを進んで行わなかったりします。
なので、この主の模範は私にとって印象的です。

また、ヤイロや長血を患った女性は信仰のstretch(最大限に発揮するという意味で今回は使われていました)を行っていることを学びました。

私は、2016年のFSYのとき、自分の人生設計を考えました。
大学に入学して、1年いった後に、伝道に出て、帰ってきたらその次の年に結婚、学生中にあかちゃんが産まれて、その後も家族が増えていくことを書いていました。
その17歳の時から6年が経ちましたが、伝道後に、愛する妻と結婚し、今月田中家の第一子が産まれようとしています。
振り返ると、自分の思い描いた自分の望みを神様の御心のとおりに実現できるように助けてくださっていると感じます。
自分がまだみていないことを信じて、受験したり、休学して専任宣教師として奉仕したり、帰ってきて好きな人に告白したり、プロポーズしたり、妻との永遠の関係を強めたり、勉強しながら、子供を迎える準備をしたり、一つ一つのことは、主に手を伸ばしていることにたとえられるかなと思います。
主に手を伸ばすときに主が愛と憐みの手で助け導いてくださることを知っています。

田中彰人(旭川第二)